寝る部

常識にとらわれない新しい〝快眠〟を日々探求しているブログ

俺は京大受験の日に寝坊した。(25時間生活第21回)

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19睡眠を終えて、順調順調。ははは。どうやらやはり俺の説は正しかったというわけだ。毎日1時間ずつ就寝時間をズラすとやっぱり快適なのである。しかしながらまだ調子に乗るわけにもいかない。最近、毎日のように2時間近く寝坊しているのだ。昨日はこの25時間生活のブログ更新さえもストップしてしまった始末。明日こそはきっちり起きよう。


そして寝坊でふと思い出すのが、俺の「京大受験寝坊体験」だ。

 

俺は京大受験の日に寝坊した。

俺は絶対寝坊できない大学受験の時に寝坊した。京大は受験日が2日ある。1日目は普通に起きられたのだが、2日目は、起きた時が試験開始時間の30分前だった。当時俺は別の大学にも通っていて、一人暮らしをしていた。要するに仮面浪人だ。だから同居人がいない。起こしてくれる親がいないので、寝坊したのである。俺はその大学受験にはかなり真剣だった。当時、6時間弱の睡眠で毎朝起きることができていた。(←これは今37になって振り返ると、俺にとってかなり奇跡的なこと。)しかし肝心な時に寝坊した。実は1日目の試験日が〝快心のでき〟だった。国語で予備校かなんかのテキストが的中した。そのせいで気が抜けたらしい。翌日思いっきり寝坊だ。

「うわあぁあ!!」

当時住んでいたのは京都と滋賀の境目の山科という場所。当時原付で移動していたが、バイクでも京大までおよそ30分かかる。俺は泣きながら、奇声を発しながら、大学に向かったことをよく覚えている。三条通りの山を登って、下りて、そっから東大路通を曲がって、北に走って大慌てで京大に突入。確か試験開始から30分までなら受験資格がなくなることはない決まり。それを信じて、ひたすら一刻も早く京大に入ることを目指した。一年の努力を棒に振りたくなかった。

まだキャンパスの地理なんてたいして知らないから、バイクを停めた場所が悪くて、試験の教室までかなり遠い場所だった。受験勉強に追われていたから運動なんかしていない。死ぬほど息を切らせて教室に入った時、ちょうど試験開始から15分くらい過ぎていたと思う(もはや頭が真っ白で記憶にないが)試験監督をしている大学の教官は、別に俺を拒絶するのではなく怒るのでもなく、「早く準備しなさい」みたいな感じで普通に試験を受けれたから、とりあえず俺は受験資格を失うことは免れた。ただ俺はずっとテンパっていた。よく覚えているのは、試験中ずっと他の受験生らが気の毒そうに俺を見ていたことと、家に帰ってから自分が情けなくなってブルーハーツのトゥーマッチペインというバラードを聴きながら涙を流したことだ。

後期日程合格に向けて猛勉強を再開。だが……

翌日はただ呆然としているだけだった。そしてもう一日が経った時、のっそりと外に出て、試験の解答速報が予備校で発表されているから怖々それを確認した。全く俺の答えとは違った。絶対落ちたと確信した。まして寝坊のせいで20分近くのロスがあったし、俺は試験中ずっと前後不覚になっていた。

でもその落ちたという確信で、逆に火がついた。後期も願書を出していた。後期日程なんて若干名で受かる見込みはほとんどないのだが、再度猛勉強を開始したのだ。

前期の合格発表の日も予備校の自習室に入って後期に向けて朝から猛勉強していた。もう落ちたと思い込んでいたから合格発表も見ないつもりで、合格発表を見に行く時間も惜しんで、すべてを後期試験に注ぐつもりだった。しかし合格発表が行われる12時を過ぎた時に、突然落ち着かなくなってきた。「受かっているかも……」という発想は一切を浮かばなかったのだが、なんだか、ちゃんと「落ちた」という現実を確認した方がもっと燃えられそうな気がした。情けない自分にもっとムカつけそうな気がした。二条の予備校の自習室にいた俺は、そこからバイクで京大に向かった。

ただ今振り返ると、寝坊したとはいえ、そんな風に自分で猛省して、自分を憎んで、後期日程に向けて猛勉強を再開できるのは、なかなかの精神力だったと思う。今の軟弱な精神の俺なら、たとえ寝坊していたとしても「受かってるかもな……」などと楽観的な考えに流れるか、「なにをやっても俺は駄目さ……」などと悲観的な考えに流れるかして、結局のところ合格発表までの時間を遊んで過ごしただろう。

だからそんな精神力が、合格するのもそれほど不思議でないことだったのかもしれない。俺は前期で合格していた。目の前には寝坊した男の受験番号が載っていた。解答速報で答え合わせをした時に間違えたと思い込んでいた部分も、実は分子と分母の割り方がちょっと違っただけで、実質的には正解だったということを数ヶ月後に知った。

普段の努力は結局裏切らない。

自分の受験番号が載った掲示板を見つめながら思ったのは「受かるものは受かる。落ちるものは落ちる。」ということだ。

実はその前の年、さらにその前の年も俺は京大を落ちていた。その時はすぐ受験票も手に入れたし、かなり完璧なスケジューリングでテスト当日を迎えていた。しかし落ちた。落ちた年は、寝坊こそしなかったが、それまでの生活でたくさん寝坊していた。受かった年は当日こそ寝坊したが、普段の日の緊張感は全然違った。

 

受かるものは受かる。落ちるものは落ちる。

 

結果なんて俺のあずかり知るところではない。結果は俺がコントロールできることではない。コントロールできるのはプロセスだけなのだ。だから「普段の日に」ただただ自分の信じるものに精一杯集中する。すると事態は勝手に好転していく。少々本番でミスろうが、寝坊しようが、風邪引こうが、もはや無理だ。結果はすでに出ているのだ。どう頑張っても、あがいても、否応なく好転していくという結果が。逆に普段ダラダラして、本番だけで実力を超発揮しておいしいところを持って行くといううまい具合にはどうしてもいかない。

 

さて。


そう考えると、今の「プロセス期間」にのっほほ~んと寝坊しまくっている自分に、かなり危なっかしい影が忍び寄っている気がしてならない。実際ライターの仕事もいまいちだ。

大嫌いな夏はすでに去った。冬になって緊張感が出て来たし、少しストレスをかけながら動いてやろう。ブログももうちょっとちゃんと更新しよう。しかし目先にいまいちこれといって燃えられるものが特にないのも事実だ。