寝る部

常識にとらわれない新しい〝快眠〟を日々探求しているブログ

連載ブログ小説『せんぱいせんぱいせんぱい乾杯、せんぱいサンライズ』第21回

京都の女子高に勤めるでぶ教師の再生の物語。 ミステリーに興味がある方は是非読んでみてくださいね。

■21回


 私は駒田への怒りを納得してもらえなかった歯痒さだけが残って余計イライラさせられるばかりである。ましてやいじめなんか解決できるわけがない。絶対に無視を決め込むべきである。あいつも無視されていると思えば出てこなくなるはずであるのだが、しかし、私はその後1時間セブンで時間をつぶし、『言葉使いで運命が変わる』とか『クレーム対応100の例』とかいった類の本を立ち読みしながら「駒田章一の言葉使いを治す参考に、何冊か買って帰ろうかなあ……」とかぱらぱら斜め読んでいた次第なのであり、そして、慌てて棚に戻そうとしたものの結局カゴに入れてしまった始末である。やつのアドバイスのパワーにはあらためて恐れ入る。こんなことでは、下手したら入り口で煙草を吸っているヤンキーに《あんなやつ殴ってくださいよ!》とか言われてもやってしまいかねないのである。
 しかしその理由ははっきりしていた。別段あの幻覚に自分の意志を操られているわけではない。これ以上仕事を増やしても絶対にうまくいくはずはないことは、あくまでちゃんと頭でわかっているのである。それでもどうしてもやつを驚かせたいとか妙な気取りがいつも出てしまうのは、やっぱり今尚、「数学マスター」という言葉に弱いせいなのだ。
 数学マスター。
 とても懐かしい響きで、確かにその言葉を聞くと身が引き締まると言うか、気合が入ると言うか、やっぱりそうは言ってもかなり頑張ろうという気持ちになってしまうらしい。

 

 私は、上川高校の出身である。
 5年前、理事長が女子高にするまではまだ共学であったから、私は高校の3年間を今の職場で過ごしていたのである。もしかすると母校だったおかげで、あそこで働けたのかもしれない。
 実家の滋賀からその高校に通うのに片道2時間かけていた。家からとにかく遠くて、毎日4時間を通学に当てているのはかなり無駄だったような気がする。それに私立に通える程裕福なうちではなかった。別段滋賀にあるのは琵琶湖だけじゃなく、進学率の高い高校だってそこそこあるのである。私がわざわざ上川を選んだのは、そこに「数学研究部」なる異質な部活動があったからであった。
「数学やるなら、上川が熱いで」
 そう教えてくれたのは私の数学好きを見込んでくれていた中学時代の塾講師である。
詳しく聞くと、なんでもその部活の活動内容は壮絶を極めていた。5時集合22時解散を実践し、通信教育講座の超難問コース並びに『大学への数学』というめちゃくちゃ難しい高校数学用の月刊誌を持ちだし掲載されている難問奇問を部員達が知恵のあらん限りを尽くして解ききろうとしている、なまじ体育会系より熱く、禅寺より厳しい場所であったわけであるが、数学が簡単過ぎてしょうがないと嘆き今後数学で食っていくぞと大いに燃えていたクリクリ坊主の私はこの熾烈な環境に大興奮、「今後一生おこずかいもお年玉も要らないから!」とまで言って親を授業料の糞高いこの私立高校へ入れてもらえるように毎晩泣いたり怒ったり懐柔したり御世辞を言ったりと、とにかく思いつく限りのありとあらゆる手段を駆使して説得したのであった。


 まあそれだけの一大決心を決めて入った私がそこで大活躍できるのは当然であったのかもしれない。高1の秋の時点で受験生が受ける模試で偏差値68を叩きだし、みるみるうちに私はそこのいわば豪腕エース、いわばハットトリックしまくりのやったぜ超高校級ストライカーとなった。みんなが一題に頭を抱え大泣きしている時に学生服のマントをひるがえしポッケに手を突っ込み、下駄を鳴らしながら現れ、葉っぱを噛んだ口を開いて解答にいたる着想を一言ぽつり言って驚かせるごときもはや日常、そしてその私を見た部の女子全員がまるで小便を我慢するようにモゾモゾ落ち着かない様子で内腿をこすりはじめるごときも日常、実際、女体の神秘と感動をはじめて知ったのもそこから一人をつまんだというわけだ。
「また蝶番さんが解いたぁぁああ――っ!」
「我が数学研究部の誇りだ!」
「Xノットイコール雲または鳥!よってXイコール数学マスター!(あれは雲か、はたまた鳥か?いや、数学マスターだ!)」
 
 あの頃、蝶は飛んでいた。


 自在に公式を操り、華麗に各分野を縦横に飛び回り、そして切腹覚悟で問題に立ち向かっていた。部員達は私をマッサージし、私のアドバイスを求め、もはや私を絶賛し崇め奉る姿は宗教じみていた。そして、甲子園の豪腕ピッチャーを「怪物」と呼ぶように、私を「数学マスター」と呼びはじめたのである。

(つづく)