寝る部

誰よりも寝ることにストイックな男が、寝る間を惜しんで「寝る」と「あるある」を研究するブログ

冬場は夏場より長い睡眠時間が必要らしい(25時間生活第28回)

風呂上がりの鼻くそがでかい。

なんか気持ち悪いな、痒いなと思って仕事をしながらほじっていたら、人生最大級のが取れた。マンモスを仕留めたような少し誇らしい気持ちもあるが、手放しで喜んでもいられない。経験的に、鼻くそがでかいというのは風邪の兆候でもあるからだ。そういえば喉も起きた時やや痛かった。やっぱ風邪だ。

最近決めた時間より2時間は寝坊してしまう日が続いていた。俺はパソコンの目覚ましでいつも起きる。スピーカーから爆音でクラッシュの「アイワナライオット」が鳴るようにしているのだ。しかし起きている時はモニター付属のスピーカーを使っていて、寝る前にそのスピーカー切り替えておく必要がある。で、そのワンアクションを忘れ、目覚ましが鳴らず、寝坊というミスが多発しているのだ。

ただ「忘れる」は「望んでいない」という意味でもある。パソコンの目覚ましで起こされることを俺は望んでいない。潜在意識で「もっと寝させて!」という気持ちが、スピーカーの切り替えを忘れさせているのだ。

まあ風邪も、同じかもしれない。アドラーだったか、どっかの心理学者が「病気は本人の希望だ」とか言っていた。別の奴で「パフォーマンス」と言っていたやつもいた。確かに、ここのところ俺は仕事ばっかりで正直ウンザリ気味。本気で反省してみると、昨日の時点でちょっと喉痛かったような気がする。素早く龍角散でも飲んでおくべきところを飲んでない。俺はもしかすると風邪を引こうとしているのかもしれない。で、寝る言い訳を探しているのだ。

「冬場は夏より長い睡眠時間が必要ですよ」とかいう話があった気がする。「んな馬鹿な」という感じで俺はそれを即座に無視していた。冬の方が暗い。寒くて布団が気持ちいい。だから冬の方が良質な睡眠を取れる。だから、冬の方が睡眠時間は短くていいと考えられるからだ。でもやっぱり冬の方が長くしたほうがいいのかも。 この鼻くそは「もっと寝たい」という俺の気持ちのでかさなのだ。

 

というわけで25時間生活。

今日は16時~23時までの睡眠スケジュールだが、0時まで寝よう。

 

忙しいあなたも、お体にお気を付けください。

考えてみると朝に寝る奴はいても、夕方に寝る奴はいない。たぶんほぼゼロだ。(25時間生活第27回)

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こんにちは。

就寝時間を毎日1時間ずつ遅らせて生活する「25時間生活」。

2周目の6睡眠目を終えました。

 

今日はこれからあと数時間後、14時~21時に寝ます。

 

しばらく更新を休んでいましたが、2つの理由からあまり時間がなかったためです。ほぼ毎日2時間の寝坊していたのと、それに加えて仕事が忙しい日が続いてたせい。

1周目の時の、この「昼間寝るゾーン」では、寝坊はまったくなかったのに2周目は不調だなあ。寝付きも若干悪い傾向がある。

それから仕事が最近忙しく、毎日3万字は書く日が続いています。時間はそれほどかからないが、やっぱりそのくらいの分量を書くと、もう本当に1文字たりとも書く気がなくなる。こんな日記ブログなんてなにを書いてもいいのに、それでも書けなくなるのはちょっと不思議です。

 

しかもそれでいて、今日が金曜日。私は「土日」なんていう概念は20才の頃には捨て去った男。丸2日休むくらいなら、1日当たりの労働時間が短い方がいい男。すごく忙しい日と、すごく楽な日があるよりも、毎日平均的に忙しい状態が好きです。

とはいえやっぱり世間の多くは土日にまとめて休む風習は続いているので、この金曜に慌てて1週間の仕事に区切りを付けようと色々メールを送ってくる。しかし「私は今日は14時~21時まで寝てますので」なんて言えないものなあ。「25時間生活です。」なんて言っても理解してくれる人はいない。それこそ日本に一人もいないかもしれない。(そう考えるとすごいことやってるな俺。)

それによく考えると、「朝寝る奴」はいるけれど、「夕方寝る奴」は少ないかもしれない。確かにあまり聞いたことがない。「夜寝る奴」は85%くらいで、「朝寝る奴」が15%ぐらいで、「夕方寝る奴」はほぼ0%なはずだ。それゆえ今日のように14時くらいから寝るようなゾーンは、もっとも社会の人達から意味不明に思われるゾーンなのだ。それでいて、今日が金曜日。

だから今日は流石に世間に合わせてちょこちょこ起きて、メールチェックをして、みんなが土日に心置きなく休めるように、無難な返信を送っておく必要があるかもしれない。

ああ。

早く25時間生活が普通の世間になってほしいなあ。

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夜活動しているとこんなことも……。

というわけで忙しいし、今日はこの辺で。

明け方のーんびりスーパーで買い物して、奴の怖さを一時忘れる(25時間生活第26回)

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こんにちは。

ついに2周目に突入した「25時間生活」。

昨日は2睡眠目、9時~16時に寝るサイクルで、あと3時間後に3睡眠目10時~17時に突入するところです。

1周目の時はとにかくこの午前中に寝る「ホステスゾーン」が辛かった。別に徹夜しているわけじゃないのに徹夜明けみたいな、まぶた痛いみたいな、ずどんと全身が鉛を着たみたいにダルい状態だった。しかし「ホステスゾーン」も2度目ともなると慣れたもので、別になんともない。紅葉が色づきはじめた京都の山道を下りて、24時間スーパーで今買い物をしてきたところだ。スーパーも夕方だと、おばちゃんらが世間話で通路を塞いでいたり、膝くらいの背丈のガキが走り回っていたりととにかくせわしないが、しかし朝の6時頃のスーパーはほとんど客は俺だけ、優雅に30%割引の肉や唐揚げを買えたし、レジも行列を待たずに済み、レジの慌ただしい金銭の受け渡しもせずに済み、悠々としたものだ。 

1周目は鉛ずどんで気付かなかったが、明け方活動するメリットは、結構たくさんありそうです。

……と思ったけれど、それもまだ11月だからの話であって、これから冬場に入ったらそうもいかないかもしれないと思い直しました。雪なんて降られて積もったら、明け方はチャリの運転も危ないだろうし、もはや籠城するしかないかもな。京都を舐めちゃいけない。

油断していると、もしかしたらその他にも京都に「舐めんな」と寝首かかれるような目に遭うかもしれない。

 

まあでも、とりあえず山の紅葉はとてつもなく綺麗です。

応援ありがとう、25時間生活ついに一周をやりきりました!さて再び24時間生活に戻すべきか。26時間生活に進化させるべきか。(25時間生活第25回)

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「1万円節約生活」や「懸賞生活」など、世の中にはさまざまな挑戦がありましたが、就寝時間を毎日1時間ずつ遅くずらして、毎日の寝付きをよくし、体内時計にも逆らわずにストレスフリーで過ごそうというのが、「25時間生活」です。

他の方のブログやはてなダイアリー等を見ても、夜のお風呂に気を付けたり、カフェインを飲まないようにしたり、どうにかこうにかしてみなさん不眠と格闘しているみたいです。「どうしても寝れない」「この商品を使えばばいい」「この快眠アプリを使え」などのアドバイスが飛び交っている中、私は「就寝時間を一時間ずらす」という単純な方法で一人、悠々と不眠無縁の生活を送っております。

そしてついに、今日で1サイクル(24睡眠)を終えることができました!

どうもありがとう!

本当にありがとう!

私が一番最初に25時間生活というこのなんともヌルい挑戦企画を思いついたのが、うっかり7時~14時まで寝て昼夜逆転してしまった時でした。そして昼夜逆転というダラけきった生活を送る自分を、検証という形でうまく自己弁護すべく思いついた方法だったのです。

 

tsukarukatamade.hatenablog.com

 

そして今日の睡眠スケジュールは、7時~14時でした。だからぐるっと合計24睡眠を終えて、1周して戻ってきた勘定です。

せっかくですから、25時間生活についてメリットやデメリットなど、さまざまなことをレポートとしてまとめて記事にしたいところですが、最近は仕事が忙しいので、暇ができたらにしましょう。

 

とりあえず今日の問題は、これからのスケジュールはどうするかです。

 

24時間生活に戻るか?

さて24時間生活に再び戻るかということですが、それはちょっとできません。再び深夜になって「早く寝なくちゃ」という焦燥感に駆られながら布団で寝返りを打つ毎日はもはや想像ができなくなってしまいました。

もちろんこれから仕事などの関係でどうしても起きなければいけない時があるのかもしれないですが、とりあえずわざわざ24時間生活に戻す意味はありません。

 

26時間生活へ進むか?

これは結構興味があります。

さすがに26時間は辛いのかもしれません。今の25時間でも寝る前は結構辛いです。(辛いおかげで逆に不眠がなくなるのですが)さらに26時間生活(起床19時間睡眠7時間)のサイクルで送れば、12日で一睡眠分得をするという事実があり、それも魅力です。

tsukarukatamade.hatenablog.com

就寝時間をずらすというこのテクニックは、実はナポレオンも気付かなかった、まったく新しい短眠法でもあるのです。

 

ただし時差ぼけなどを治すには1日1時間ずつという話を聞いたことがあります。人間が睡眠時間をズラせる限界は1時間なのかもしれません。ですので、毎日2時間ずつズラすと体調を崩してしまうのかもしれないという不安もあるのは確かです。

是非ともそんな挑戦をして、あなたをドキドキワクワクさせたいところではありますが、とりあえずあと1周、25時間生活を続けさせてください。もしかすると2周目ならではの発見もあるかもしれません。1周目が滞りなく終えられたのもたまたまだったということもあるかもしれません。

というわけで、明日は2周目の1睡眠目。8時~15時までの睡眠スケジュールで行こうと思います。

引き続き応援してください!

(「応援の仕方がわからない」と思うかもしれませんが、まあ、「あいつ生きてるかなー」と見守っていてくれたらオッケーです。)

 

やり終えた感想は、「みんなに是非おすすめ」の一言。フリーランスで働いている方は本気で「寝る部」の入部をおすすめします!

 

ちょっと仕事が色々あるので、今日のところはこれで。

 

新ポモドーロテクニックで勉強効率アップ!タイマーより時計がおすすめのワケ

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「ポモドーロテクニック」って、ご存じですか?

作業25分→休憩5分を1セットとして、それをひたすら繰り返していく方法ですよね。最近はブームが去ってしまったような感がありますものの、一度くらいはビジネスや勉強で活用してみたという方もいるのではないでしょうか。私はこの方法をアレンジした、生産性を飛躍的に上げるテクニックをここでご紹介します。

さらに「寝る部部長」として、夜の熟睡に欠かせないものとして、この「アレンジポモドーロテクニック」をご紹介いたします。睡眠不足は本当辛い。昼間の仕事もはかどらず、対人関係もうまくいきません。でも実はポモドーロテクニックをうまく活用すれば、あなたの睡眠の質は、劇的に向上できます。

それはなぜか?

ここでは「熟睡に繋がる変形ポモドーロテクニック」として、私なりのアレンジ方法をご紹介し、ややブームが過ぎ去った感がなくもないこの方法の、新しい活用法をご提案してみたいと思います。

ポモドーロテクニックとはそもそもどういった方法だったか。

ポモドーロ法は有名なテクニックでないでしょうか。

 「作業25分、休憩5分」というサイクルを繰り返し集中力を引き出す方法です。8年前ほどに流行りました。このテクニック用の「25分、5分」のサイクルでアラームがなるアプリなどもたくさん登場しました。ネット記事を見てみると「ポモドーロで集中力が上がった」とか「勉強がたくさんできるようになった」とか「必ず休憩が入るので集中が長続きする」などといった記述もないことはないですが、しっかりと深く掘り下げたものは少ない。本当にやってるのかなあ?と思わざるを得ません。実際現在はすたれて、あまり注目されていません。

 実は私は、これが流行る前、大学の受験の時なのですが、自然とポモドーロテクニックに似たような方法を発見していました。

「ツカル流ポモドーロテクニック」と本流との違い。

私のやり方は、まるきり同じではありませんでした。いくつか違う点があります。そして私の方法の方が、以上のような経緯から生み出されているだけに、いいのではないかと思います。ツカル流はとにかく強烈な意地とプライドと、決死の要請から生まれています。

違う点は3つ。

順に見ていきましょう。

ツカル流ポモドーロテクニックが本流と違う点その1――時間の分け方が違う

ツカル流は時間の分け方が「25分5分」ではありませんでした。作業50分、休憩10分です。

こっちの方がいい理由は、2つ。

1つ目は、中学校の授業なども50分10分だから慣れているということ。

2つ目は、50分10分は、時間的にちょうどいいサイクルになっていることです。タイマーがいらなくなる。普通の時計でいつ作業で、いつ休憩かがわかる。タイマーは実は便利なようで、曲者です。「いつからはじめてもいい」という状況を作り出してしまうからです。50分10分だと、例えば9時ジャストから始めたら、9時50分で休憩、10時が2コマ目のスタートとなりますよね?つまり時計の長針が、「00分」と「50分」のところへ来た時が、作業と休憩の区切れ目になります。「この区切れ目をズラしたくない!」という心理が働き、休憩を長くしてしまったりする心配がない。

タイマーを使っていると、作業をいつからでもはじめられるので休憩が終わる時に、「あともう5分だけ休ませて。」という気持ちになってしまいます。実は休憩から作業に戻る時が、一番ストレスがかかります。これがポモドーロテクニックの最大の欠点とさえ言えます。だからできればタイマーを使わない方がいいわけですが、とはいえ25分5分サイクルで、タイマーを使わないと、結構「あれ、いつからはじめたっけ?」となりがちで、その辺がユルユルになってしまう危険をはらんでいるのです。

50分10分にして、タイマーではなく時計を使う。

これがツカル流です。

 

ツカル流ポモドーロテクニックが本流と違う点その2――変に集中力を高めない。

さらにもう一つ違う点は、ポモドーロテクニックは25分で死に物狂いで仕事をするという方法ですが、ツカル流はそこまで肩に力を入れないことです。本流は異常に集中力を高められることを利点としていますが、ツカル流は変に集中力をあげようなどとはせず、ただこのプラン通りにやることを大切にしています。

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とにかく作業さえはじめられれば、自然と集中力は高まるものです(むしろはじめるのが大変)。確かに50分の間で途中で飽きてきたりもしますけれども、時計の長針が区切れ目のところに来るまではとにかく休まない。そうしているとまた集中力が戻ってきたりします。むしろ変に「集中せねば!集中せねば!」などと気合いを入れすぎても、集中できるというものでもありません。それに、休憩を切り上げるのが辛くなります。そして「ごめん。あともう5分だけ休ませて。」になってしまう。とにかく机に座る。人生は長い。50分10分のサイクルを崩さないということに「集中」すればオッケーなのです。

ツカル流ポモドーロテクニックが本流と違う点その3――ツカル流は、同じ作業を繰り返さない。

本流では25分5分だけが説明され、「何を」作業するかは特に説明されていません。ツカル流はそこにむしろこだわります。1日1コマ以上、つまり50分以上同じ作業をしません。つまり1日に同じことはたったの50分しかできないという制限があります。

受験科目で言えば、もちろん「数学」を1時間だけしかしなければ、試験日までに絶対に追いつかないと思うでしょう。確かに科目によっては、1日1コマだと、少し配分的に難しいところがある。ところが数学を「ベクトル」と「微分」などという風に2つの分野に分けることはオッケーです。英語は「英文法」と「長文」などと分けてもよいでしょう。そうすれば重要科目にもう少しコマ数を割くことができますよね。

それでもせいぜい1日2コマ程度を限度にして、極力「1日にたくさんのことをまんべんなくする」ことを心掛けていました。

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1日に数学だけをやるのではなく、必ず英語もやる。国語もやる。(はっきり言って、バックは教科書や参考書でパンパンになります。)

またツカル流は作業の順番にもこだわります。

たとえば数学は「ベクトル」と「微分」の2コマをやるようにしたら、できるだけ両者が離れるようにしました。つまりベクトルを終えた次に微分をするのではなく、できれば数学と違う作業、国語や英語などを持ってくるようにプランを立てていました。

ツカル流ポモドーロテクニックはできるだけ一日にまんべんなくやり、しかも極力前のコマと似ていないことをすることを心がけていたのです。

ツカル流ポモドーロテクニックのメリット

ではなぜツカル流の方が、本流より優れているのでしょうか?

これについてはすでに少し述べてしまった部分もありますが、あらためて3つきちんと整理してご説明しましょう。

ツカル流のメリットその1――「切り替え」の回数が減る。

すでに少し述べましたが、ポモドーロの難所は「切り替え」です。25分5分と簡単に言うけれども、むしろ私たちが難しいのは休憩から再び作業に戻る時です。そりゃ最初の1コマ2コマくらいは我慢できても、10コマ、15コマと作業を続けていると、休憩から再び机に座るのは、かなり根性が必要になってきます。「あと5分だけ休ませて」です。それでダラダラと休憩を引き延ばしてしまう。「それならば結局休憩を挟まないで一気にやってしまった方がよかった」ということにもなりかねません。

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50分10分のツカル流は単純にこの難所、「葛藤の瞬間」の回数が、本流よりも半分になります。それからすでに述べましたが、「区切れ目を崩したくない!」という心理的に休憩から戻る気持ちにさせる面でも利点があります。だから本流よりも挫折しにくいのです。

ツカル流のメリットその2――別の作業が「気分転換」になる。

「違いその3」で、「まんべんなくやる。そして、できるだけ似た作業を繰り返さない」ということをお伝えしました。

この利点は、「勉強が気分転換になる」ということです。

数学のあとに英語をやるというのは大変なようで、実は結構効率的です。数式変形ばかりをゴリゴリと繰り返したあとに、英語の長文をやると、一見かなり大変そうですが、実はまったく別の作業なので、なかなか気分転換になります。脳の別の部分を使うせいかもしれません。数式変形をする時に酷使した箇所が、英語をはじめるとよい感じで休まります。ちょっと英語が楽しいと感じるほどです。そりゃもちろん、外でバレーボールやサッカーで身体を動かす方が気分転換になるのかもしれませんが、でも「勉強」という枠組みだけの中でもなかなかよい気分転換ができるのです。少なくとも、なまじゲームやインターネットなどといったものよりかは、英語の方が気分転換になります。

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だから似た作業を繰り返さないというツカル流は有効です。勉強の休憩に、勉強をする。これって最強ではないですか?極力同じ作業をしないような順番で作業をすれば、1日何時間でも勉強ができるようになるのです。

ツカル流のメリットその3――1日単位でなく長期的単位で勉強を進められる。

1日50分だけというのは、それにしても物足りないと感じるかもしれません。

50分でできることなんてたかが知れています。早くベクトルを極めたいのに全然進まない。本当に合格するかどうか不安になってきます。1週間くらい経った時、まったく何もしていないという気さえしてきます。

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だからこそいいのです。

むしろツカル流の狙いは、その不安を生み出すことなのです。

だって本当は、あなたにはベクトルの他にもやらなければいけないことがあるのではないですか?たった一つの分野だけを理解して合格できるのではないはず。勉強に限らず、それはビジネスなどでも同じ事が言えます。ただ目の前の依頼された仕事をするだけでは本当は駄目で、同時に新規クライアントの開拓もしなければいけないはず。社内の整理整頓もしなければいけないはず。別案件のクレーム処理もしておかなければいけないはず。

それなのに一つの仕事をきちんと終えて、キリを付けてしまうのはかなり危険なことです。一つのことが終わって頭もぼうっとしていますから、他のことに注意が向かいません。「いやあよく勉強したぜ」「オイラは偉い!」とうぬぼれて、「さあ帰ろ!」となってしまうパターンです。新規クライアント開拓はいつするの?整理整頓はいつするの?

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ツカル流はこのうぬぼれを完全に抹殺します。

常に全然進んでいないような気がして焦る。翌日も当然やらなければという危機感が生まれます。「俺はなんて駄目なんだ!」という気持ちで「全然時間がない!」「もっと勉強時間を作らなきゃ!」となります。

長期的に見て、どちらがよりたくさんの勉強するかは明らかでしょう?断然後者ですよね。1日単位で仕事を捉えてはいけません。せめて1ヶ月くらいの単位でようやく仕事を終わらせるように調整するからこそ、サボることが減り、大量の仕事をこなせるのです。毎日「今日は、これをやったぞ。」という気持ちがしないからいいのです。しかもそれでいて、「その2」で述べたように、ツカル流は勉強を息抜きにします。だから大量の仕事をこなして、しかもそれぞれのクオリティも高くなる。

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たとえば、あなたはもしも本5冊を、5日で読まなければいけない時、どのように読書プランを立てますか?

もしかすると1日1冊ずつ読み終えていくプランを立てるのではないでしょうか?「1日1冊」と決めて5日ですべて読み終えようとする。なのだけれども実はそれは能率が悪いのです。というのも、1日目、1冊を読み終えた時に「よっしゃ。」と気持ちがダレるから。それから5冊すべてが同じ長さ、同じ難易度という可能性は少ない。もしかして5日目に読もうとした本が思いのほか難解な本で、1日で読み終えられなかったというパターンもありえます。基本的に「終わり」「キリ」をつけないのは、長期的な仕事をこなす時のコツです。1日で終わらない仕事は、1日では終わらないのだから、1日を終えた時点では中途半端なままの方がいいのです。ちょっと気持ち悪いですが、気持ち悪いから翌日も取り組めるのです。

だから正しくは、1日5冊全部を5分の1ずつ読み進めるやり方です。その方が最後までやり抜ける可能性が高い。まず「よっしゃ」が5日目までありません。(でも5日目に「よっしゃ」の5連発になります。)1日を終えた時、どの本もちょっとしか読めていない状態ですから「まだ全然進んでいない!」と焦ります。どちらも同じように全体の5分の1を終えているのですが、ツカル流の方が「焦り」「不安」が出るのです。

 それから別の本を読み進めるため、「飽き」が少ない。頭が切り替えられて集中力が続きます。ツカル流ではない方は、とにかく1冊を読み終えることが目的になり、中盤は全然覚えていないということになります。

最大のポモドーロテクニックの利点は睡眠の質が上がる点。

さて。

寝る部としては実はここからが本題です。

私は「睡眠力」はまったくありません。朝起きることはほとんどできませんし、夜の寝つきも悪い。夜更かしは必ずしてしまう。早く布団に入ろうとしても、どうしても目が覚めてしまうというようなことがよくある。実際大学に入ってからはそんな生活の毎日を送り続け、ダメダメ人間になっていたことは確かです。

が、そんな私でも、先で述べました「悪夢のE判定」事件以来、受験の時はしっかり「0時就寝6時起床」をほぼ完璧に繰り返していました。「3浪野郎のくせに、現役生に全く太刀打ちできなかった」という自分に対して、強烈な怒りを感じて爆発したということは大きな要因でしょう。

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 けれども毎日早寝早起きができた理由は、それだけではありません。1日2日ならまだしも、8ヶ月近く期間があります。緊張感だけで生まれながらの性格が矯正されるのはさすがに難しい。私が早寝早起きができたのは、ツカル流ポモドーロテクニックのおかげでもあったのです。

実はそれに気付いたのはその大分後のことなのですが、「あれ、どうやら1日にたくさんのことをした方が、寝付きがいいぞ」と、受験の時期にツカル流ポモドーロテクニック発見してから15年以上、再びこの方法で仕事をしたり、違う方法で仕事をしたり、ダラダラとフリーランス生活を送ってきた結果、この結論に到達しました。

よく調べてみると、1日に1つのことしかしていない日は、決まって寝付きが悪い。「1日にいろいろな事をする」というのは睡眠、特にその晩の寝付きにとって不可欠なことのようなのです。

おそらく素人ながらに考えてみますと、脳の全体を使うからより睡眠に効果的ということなのではないかと思います。逆に一つの事だけしかやっていないと、脳の一箇所しか使わないので、疲れるは疲れるが、全体としては大して疲れておらず、そのせいで脳が睡眠を必要としないのではないでしょうか。バラエティ豊かな一日を送った方が、決められた時間に眠くなってくるということが言えます。つまりまんべんなくいろいろなことをするこのポモドーロテクニックは睡眠にとってもかなり効果的なのです。

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まとめ――本流、ツカル流問わず、切り替えがカギ。

以上ポモドーロテクニックの新しい形、そしてその再評価をすべく、ツカル流のポモドーロテクニックをご紹介してきました。

「どうしても生産性が上がらない」とか「なにかやり方を変えてみたい」と思っている人は、是非ともこの方法を試してみてください。特に大切なのは1日にたくさんのことをするようにする点。切り替えがすごく難しいというのが言えますけれども、それを乗り越えて多くの作業をすると夜しっかり眠れます。

 このような、シンプルな卓上のデジタル時計がおすすめ。

こちらは木目調の少しお洒落なデザインです。温かみのあるデザインで、インテリアに馴染みます。

では。

私の方法が、あなたのお役に少しでも立ちますように。

【発見!!】就寝2時間前ぐらいの〝頭が眠い時〟が文章を書くベストタイミングだ!(25時間生活第24回)

 

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フリーランスのためのまったく新しいライフスタイル「25時間生活」。

 

就寝時間を毎日1時間ずつ遅らせ、奥の方に隠れてしまった眠気を引っぱり出し、一挙に寝て、一挙に起きようという斬新な方法。そしてそれをちょっと試してみているのが私、ツカル肩マデです。

 

現在、11月7日の5時~12時まで寝て、22回の睡眠を終えているところです。やっぱりバッチリ毎日眠れています。もはや24時間生活に戻れないというくらいです。是非不眠に悩んでいる方や、寝付きが悪くて布団の中でいつも何時間も過ごしてしまう人は「寝る部」に入部し、25時間生活を実践してみてください。

 

就寝時刻の2時間前が執筆に最適!

25時間生活を約1ヶ月繰り返していて発見したことがあります。

昼に寝る時も、夜に寝る時も共通していたのは、「絶対就寝時刻の2時間前が眠くなる」ということでした。

「え、あと2時間もあるんすか……」と、ちょっとウンザリした感じに必ずなる。

それで手持ち無沙汰だからネットの動画とか見たりぼうっと過ごしていると、気付くと就寝時刻の間近になって、歯磨きして寝る。というパターンでした。

 

しかし3日くらい前、就寝2時間前に私はやっぱり眠くなっていたのですが、「金ねえし、たまにはもう一稼ぎするか。」みたいに、なんとなく書き物の仕事をしてみたことがあったのです。

すると異常にはかどったから驚きました。

 

 

なぜ寝る前のバカな状態の方が、よく書ける?

一見、眠いのだから、ロクなものが書けるはずがないように思えます。

でもその時間帯は、頭がいい感じにぼうっとしているみたい。酔っ払っている感じに近いのでしょうか。ちょっぴりバカになっているのです。それがいい。頭に変にフィルターがかからず、なんか変な緊張もなく、言葉や発想がひょいひょいと浮かんでくる。無礼講な感じなのです。

それに書き物をする時はいつも決まって「早く書き終わらせて、遊びたーい」みたいな気持ちにせっつかれるように、少し焦ってしまうのですが、寝る前に書くと、その感じがあまりない。ずっしりと構えている感じといいましょうか、重心が安定している感じといいましょうか。一文字一文字、文字を綴っていくという作業は、しゃべったり、頭で考えたりするのに比べると明らかに遅い。だからいつも書いている時にもどかしい。でも就寝2時間前の鈍った頭の回転は、うまく書くスピードと、噛み合うらしいのです。

さらに就寝2時間前が深夜の2時とか3時くらいだと、よりいい。世界が寝静まっている舞台で、淡々と一人で書き物をしている感じが心地よいのです。「蛍雪の功」って言うのでしょうか。ちょっと違うでしょうか。なんか、一人で頑張っている感じが嬉しいのです。「頑張ってるじゃん、俺。」みたいな、得意な気分で、すらすらと文章が進んでいきます。(まあ、単に俺は、起きる時間が世間の人より遅いだけなんですけどね。)

もちろんそんな深夜のナチュラルハイ状態で書いた文章を人に読ませるなんて危なっかしくてできませんが、でも次に起きた時に、冷めた頭でサッと確認して、ナチュラルハイまま書いてしまったイキがった考えや、長たらしくなってしまっている箇所を削れば、それで一つの仕事が終了。

 

これって結構合理的かもしれませんね。

 

「寝る前の疲れている頭で書き→起きた時に直す」という流れは結構おすすめかもしれません。

昔「次の日の教科書をランドセルにきちんと準備してから寝なさい。」とか言われたが、あれって本当に必要だったのか(25時間生活第23回)

「朝食を抜くと、体内時計の調節がうまくいかなくなるよ!」

「体内時計は、朝日を浴びて調節しよう!」

といった睡眠アドバイスに飽き飽きとしている世の寝坊族たちに向けて、「むしろ体内時計に逆らうな。就寝時間を毎日1時間ずつ遅くして、25時間で生活せよ」というありそうでなかった新視点から、体内時計というものと、21世紀のライフ・スタイルを見つめ直す孤高のブログ。

 

それがこの「寝る部、25時間生活」である。

 

さて、21睡眠を終えることができた。24睡眠で1サイクルなので、あと3睡眠で、1サイクル目終了というところまで来た。

 

相変わらず寝付きはいい。21睡眠目は午前4時~11時まで寝るスケジュールだが、バッチリ寝れた。そして今回はバッチリ起きれた。

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3日連続で起床時刻が2時間がずれる寝坊をやらかしていたが、ここで再び俺は睡眠コントロールを取り戻したわけである。

 

なぜ今日は寝坊しなかったか?

ここでしっかりと寝坊しなかった原因を分析しておくことが、今後の睡眠コントロール力アップに有効であると思われる。

考えられる理由は2つである。

 

 

●今回寝坊しなかった理由1つ目――「朝寝サイクル」に突入しはじめたから。

なんでかよくわからないのだが、俺は、朝日が出ている間に就寝している方が、どうも寝起きがよいらしいのである。人間というのは基本的に夜に寝る生き物であるはずだったが、どうやらそういうわけでもないらしい。「まさか」と心の中で思っていたが、「実は昼間に寝る方が睡眠が深く、良質になる」という可能性が否定できなくなってきたのである。だって、これほど寝坊しないのだもの。君はどう思うだろうか?

 

このツカル肩マデの意見がきっかけとなり、ヒトの睡眠に対する考え方が変わり、22世紀ぐらいでは昼間寝ることが常識になっているかもしれないぞ。

 

●今回寝坊しなかった理由2つ目――寝る前に一日の予定を立てていたから。

この21睡眠目では、明らかに20睡眠目や19睡眠目とは違う行動をしているのも確かなのである。

 

なんとなく昨日、就寝時刻の4時になる前にやることがなくなって、「ちょっと明日の予定でも立てよう。」という気持ちになった。そしていつも使っているスケジュール表にいろいろやることの時間割を書いて行った。

 

※参照

tsukarukatamade.hatenablog.com

 

それから寝た。

 

つまり13時からこの仕事をして、14時からこの仕事をして……。みたいに決めたのだ。だから寝坊すると、その分だけスケジュールがズレこんでしまうので、もう一回スケジュールを立て直す必要が出てくる。それはすごく面倒臭い。そういう気持ちが起床時間の11時頃、気持ち良い布団から這い出させるエネルギーとなったのだ。

 

まとめ――ランドセルに教科書を準備してから寝なさい。

以上、なぜ俺は今日寝坊しなかったのかを分析した。

 

2つの理由のうち、後のほうの理由、つまり「翌日のスケジュールをしっかり立てて寝た」の方がなんとなく正しそうである。

 

そういえば小学校の頃、「次の日の時間割の教科書をランドセルに入れて寝なさい。」とか言われたことを今思い出した。人によっては、布団の横に翌日の服をたたんで置いておくようなやつも存在するだろう。あれは単に朝の忙しい時間を有効に使うためかと思っていたが、寝坊しない知恵だったのだ。

 

と、37で気付く。

こんなダラダラしていたら「寝ると逆に疲れる」日も近い。(25時間生活第22回)

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25時間生活20睡眠終了。3時~10時まで寝るスケジュールであった。しかしながらまーたまた寝坊だ。12時まで寝てしまった。とりあえず夜に寝るスケジュールの方が圧倒的に寝坊が多い。むしろ夜寝る方が睡眠が浅くなるのだろうか?だとしたら大発見だが、単に寝るのが少し遅くなりがちというだけなのかもしれない。

 

それから、体力の低下が激しい。俺は夏場まで肉体労働のバイトを週1、2くらいのペースでしていた。7年くらい続けていた。一日歩き回って足が疲れて、「俺にはやっぱ体力がない」と思って辞めたが、結局まだその時は十分体力があったのだと思い知らされた。

 

というのも今日、京都の山奥からチャリで繁華街まで降りて買い物をしていたが、ふと足下に並んでいる商品を見ようとしゃがみ込んだ時に、心臓の動悸が突然激しくなった。初キス以来といえるドキドキ。で、中々しずまらないのである。特に帰り、山道を登るのが大変で、肉体労働のバイトをしていた時はチャリでひょいひょい登り切れていた京都の山道が、死ぬほど苦しい。買い物中に始まった動悸もまだいまいち静まっていないのも手伝って、チャリから降りたくて降りたくてしょうがなくなった。でもこれで降りたらいよいよ〝おっさん〟のような気がして、何かと闘うように辛抱してペダルを踏み続けた。結局足は地面に付かずに帰ったが、途中顔をいびつにゆがませたり、泣きそうな顔になったり、溺れたように大きく口を開けたり、苦悶百面相をさらさずには済まなかった。

 

我が〝もやしっぷり〟にショックである。バイトを辞めて3ヶ月。そろそろ筋肉も弱っていて当然か。なんでも、これから40を過ぎると「寝ると疲れる」という噂だ。体力回復のための睡眠が、むしろ疲労の原因になるらしいから驚く。確かに俺もすでに、たまに寝方が悪いせいで、逆に腰が痛くなったりすることはあるが、まださすがに諸先輩方の境地には至っていない。9時間たっぷり寝られることは、ある意味、幸福なのかもしれない。

 

たまには運動でもはじめよーかな。

幼少期コマが回せずに泣いた子供が、大人になり、ブログを思い通りにカスタマイズできずに泣く(25時間生活第20回)

こんばんは。

 

よく寝れていますか。

 

さて25時間生活は、17睡眠を終えました。昨晩は0時から7時までの睡眠スケジュール。ついに日をまたぐ期間に突入したわけです。しかし今日も一時間半くらい寝坊して8時過ぎに起きてしまいました。どうも朝起きる時は、二度寝をする癖がついてしまっているみたいです。情けないことです。

 

 

さて、ブログを始めてだいたい3週間くらいが経ち、ブログコンセプトも「睡眠」に絞られてきました。

 

2日前にブログの改造を決意し、よりあなたが見やすくなるように奮闘中です。

 

ですがそんな折、私は涙を流すことになりました。

 

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俺は幼少期コマが回せなくて、泣いたことがある。

 

私は小さい頃どちらかと言うと泣き虫な方でした。

デパートでほしいおもちゃが買ってもらえなかったりすると、よく親に泣訴をしたのを覚えています。

 

コマが回せなくて泣いたこともあります。我ながらびっくりです。普通のよくあるコマですが、父親はすぐ回せるのに自分はどう頑張っても、何回やっても回らない。それが悔しくて悔しくて泣いたのです。

 

今振り返るとそこまでコマを回すことに執着している自分は一体何なのかと思ってしまいます。でも今大人になってそんな自分を愛おしく感じる面もなくもなく、笑いながらそんな自分を振り返っていたのでした。

 

しかしあの30年前の感情が、ダイレクトによみがえったのが昨日でした。

 

そして情報を発信する者の責務を知る。

 

ブログを改造するにあたって、苦戦したのが、タイトル部分。画像を設定すると、どうしても両側が白く、余白になってしまう。

 

検索で調べるとたくさんその解決法があったのですが、その通りにコードを記述してもどうしてもうまくいきません。余白を消すというのはそれほど難しくないはずなのですが、それができないもどかしさ。その他にも色々と改造していると、まったくあたらしい「CSS」なる謎の言語の国に、一人取り残されたような孤独感と、私は頭が爆発しそうなほど疲れ切っている状態に陥りました。

 

「こーすれば、でっきるよ~ん。」

 

みたいな調子で説明してあるのですが、その通りにしてもできません。その冗談交じりな、軽い調子で解説してあるブログ記事を読んでいるうちに、私は涙を流し始めたのです。冗談はいいから、ちゃんと教えてくれ……っ!!ただ、淡々と教えてくれ……っ!!頼む……っ!!

 

 

結局背景の色と、タイトル画像の色を合わせるという形でいちおう見た目は整えましたが、これは継ぎ接ぎ的に解決しただけで、もっと本質的にどうすればいいかは結局わからないままでした。

 

 

同時に泣きながら私は決意しました。

 

 

こんな風に日記の記事も書きますが、このブログでは情報記事もたくさん書いていきたいと考えています。日記ならば別にいいけれども、検索にもひっかかるような情報記事を書く時は、変に冗談を言わないようにしようと。しっかりと悩んでいる人の立場に立ち、役に立ったことを伝えるようにしようと。「ふーん。」でそれっきり忘れられてしまうことこそが、ベストなのだ。それこそが本当に良質の情報なのであり、そういうものを精一杯発信していこうと。

 

 

私は読んだ人を泣かせるような真似はすまい